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・1Q84 BOOK3

・村上 春樹

・602ページ

やっとお借り出来たので読みました!

イッツ オンリー ア ペーパームーン

ここは見せ物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる



1と2同様、ぐいぐいと引っ張られるように一瞬で読み終わってしまったのはそうなんだけれど、なんだろう、Book3は正直「あれ?」みたいな、ちょっと不思議な感じがしました。春樹ワールドにどっぷり浸れる1と2に比べると、3では、あえて春樹ワールドから追い出しをくらったような、そんな妙な感覚が付きまとう。面白かったんですけどね。

例えば
ここでいくつかの「もし」が我々の頭に浮かぶ。もしタマルが話をもう少し短く切り上げていたら、もし青豆が・・(p339)

の「我々」とか。

確かに、

主観と客観は、多くの人々が考えているほど明瞭に区別できるものではないし、もしその境界線かもともと不明瞭であるなら、意図的にそれを移動するのはさほど困難ではない。(p252)

なんですけど、微妙な三人称のナレーターとともに、春樹ワールドに浸らせてくれない何かをヒシヒシと感じながら読みました。

誰かの命を終わらせるために、高速道路の非常階段から降り、1Q84の世界に紛れ込んだ青豆は、Book2では自分の命を終わらせようと再び高速道路に戻る。そしてBook3では、新しい命をこの世に送り出すために再度同じ場所に立つ。

ラストの階段を昇る時、青豆は天吾よりも先に行く。私が先に行かなくてはならないと主張する。そこはとても大事(豆の木もそうだけど、ヤコブの梯子を連想してしまった)。

1Q84が仮に天吾の描いたストーリーだとしても、引いてはフカエリ、引いては村上春樹の世界であったとしても、青豆はそれを甘んじて受け止める。そしてかわいそうな犠牲者、通りすがりの脇役であることを止め、物語の中心人物となり、物語を(世界を)リードしていると自覚する。それはある意味全ての宗教が目指すところの覚醒でもある(たぶん)。

私はたまたまここに運び込まれたのではない。

私はいるべくしてここにいるのだ。

私はこれまで、自分がこの「1Q84」にやってきたのは他動的な意志に巻き込まれたせいだと考えていた。(略)・・・そして気がついたときには私はここにいた。二つの月が空に浮かび、リトルピープルが出没する世界に。そこに入り口はあっても出口はない。

・・・だからこそ私は今ここにいるのだと。あくまで受け身の存在として。言うならば、深い霧の中をさまよう混乱した無知な脇役として。

でもそれだけじゃないんだと青豆は思う。それだけじゃない。

私は誰かの意志に巻き込まれ、必ずもここに運び込まれたただの受動的な存在ではない。たしかにそういう部分もあるだろう。でも同時に、私はここにいることを自ら選びとってもいる。

ここにいることは私自身の主体的な意志でもあるのだ。

そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由は立った一つしかない。天吾と巡り会い、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。(p475-476)



「1Q84」の世界は、私たちが今住んでいるこの世界と同様に本来出口はない。それはパラレルワールドではないのだから。
けれど覚醒し、愛を胸に秘め、その結果生まれる創造の力を得ることによって、そこから抜け出せる。覚醒だけではだめなのだ。カルト宗教のむなしさもここにあるのだろう。

現代の孤独な人間の誰もが感じる乖離感と孤立感は、ちょうど歯を溶かす虫歯菌のように、人を蝕み人の心に穴をあける。そしてそこに何かが入り込んでくる。入り込んできた何かによって、自殺に追い込まれる場合もあるだろうし、特殊な集団や、自分を受け入れてくれる団体に組み込まれる場合もある。

「ひとりぼっちではあるけれど、孤独ではない」と青豆は言う。ひとりぼっちであっても、誰かを愛している限り、人は孤独ではないのだ。孤独な状態に押しつぶされないで、自分の中の愛を見つめよう。そこに必ず出口がある。そう青豆は教えてくれる。そして青豆が出て行ってしまうと、1Q84は、その本質を失う。春樹ワールドが消えてしまう。それでいいのだろうけれど、なんとも寂しい感じがしました。特に最後の一節は、涙さえでそうになりましたよ。そして頭の中で響くのはこの台詞。イッツ オンリー ア ペーパームーン・・イッツ オンリー・・・


(追伸1)
1と2と3。全て手元に置いて、三冊通しで読んでみたいです。私は単純にストーリーとして楽しんだだけですが、本来はもっといろいろ意味とかあるのでしょうし。文庫化されたら自分でちゃんと買おうと思います。文庫化は3月末から3ヶ月連続で発売されるそうです→(

(追伸2)
ところで、小説の中で猫の町として登場する千倉。昔夫とよく行った思い出の場所です。千倉は当時、海の家も立たない静かで小さなビーチがいくつかあって、人の少なさに惹かれ、毎年夏になるとわざわざ東京から足を運んだ海岸です。。また千倉はアワビが美味しくて、よく帰りにアワビそば食べたっけなー。猫の町の場面では常にこのアワビそば思い出していた私・・。また食べたいにゃー。


それにしても、キーである牛河さんを、思いっきりすっ飛ばした読書感想文になってしまいました(笑)。牛河ファンのみなさんスミマセン。


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