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話すことははちっぽけだけどだいじなことだ。たしかに結婚前、自分たちはそんなことを言い合ったと瞳は思い出す。そのとき心から感謝したのだ。(略)今だって思う。栄吉は立派な人間だ。落ち度のない夫だ。ただ気づいていないだけだ。相手が自分を否定しないとわかっているときだけ、人は何でも言えるのだと、夫は気づかないだけなのだ。あれほど言葉を交わしたって、心の底では光太郎の受験に対して反対しているではないか。私との会話でその反対が賛成に翻るはずがないではないか。繭子のところに預けていると言えないのは、これからどうしようと相談できないのは、あなたが頑固な正論で私を否定するからではないか。


先日、子供の受験が来年に迫りいろいろ大変な姉とスカイプでおしゃべりをしていたら、ずいぶん前に文京区で起きたお受験殺人事件の話が出た。当時あまり関心を持たなかったためか、ほとんど覚えていない事件だった。

これを題材とした角田光代の小説があると聞いて読んでみた。桐野夏生は小説「グロテスク」で、まったく独自の設定の中で、東電OLの闇の部分だけを見事に取り入れたが、こちらは少し趣が違う。というか真逆な気がする。良い意味でも悪い意味でも、予想していたものとは違った。

細部の描写が見事だと思う。主婦の孤独と、子育ての不安と、閉塞感。それを軽視する夫、または子供はのびのび育てばそれでいいんじゃないので終わらせる夫。彼らの存在そのものがあまりにも薄~く薄く陽炎のように登場する。お受験に向かう心理も、共感は出来なくても普通に理解が出来る。夫への静かな不満と怒り、孤独と不安から同じ目線で子供のことを語れる友人の必要性、馴れ合うことの喜びと安堵、しかし同時に沸きあがってくる嫌悪感など。ちょっとした一言が気になり、そこからあれこれ悩み考え悩み、どんどん疑心暗鬼にかられる心理。女性ならみな程度の差はあるにせよ感じることだろう。登場人物は誰一人完璧な人間ではなく、つまりリアルに描けていると思う。

その一方で全体として、何を描きたかったのだろうという疑問が残る。少なくとも、「うへえママ友。ヤダヤダ女同士って。怖い怖い」じゃないはずなんだけど、そのように終わってしまってる感も否めない。

あの事件への世間の関心はおそらく、「殺人にまで突き進んでしまうほど追いつめられるお受験競争及びママ友の世界または心理とはどういうことか」、みたいなものだと思うのだけれど、この「殺人にいたるまで」の部分を、厳密にいって著者は描いていない。その闇の部分は、登場人物ではなく、突然現れる「彼女」という人物によって語られるだけだ。この「彼女」は明らかに現実のお受験事件の犯人で、闇に落ちていくシーンが7ページ、突如パラレルワールドのように現れる。

肝心の登場人物たちはどうかというと、息苦しくなった関係から逃れるため、それぞれがお互いに自然に距離を置くようになる。当然だ。この流れで自然だし、現実世界でも大抵そんなものだと思う。「彼女」のストーリーが、この4人の登場人物の誰にでも起こりえたとはつながらないのだ。それとも作者が描きたかったのも脱出だったのかもしれない。どうであれ、事件を起こした実際のお受験事件の女性が、やはり「特殊」ということになる。そして「殺人にいたるまでの部分」がなくなれば、それはよくある主婦同士の、女同士の優越の競い合いだ。

といったことが気になったのだが、それでも一気読みしてしまう力作だと思う。量はさほど多くないが読みごたえもある。最終的には夫婦で向き合うしかないこと、心の葛藤を解決するのは子供の合格ではなく自分だということを伝えている。幸せというのは、決して他の誰かを通して得られるものではないというメッセージ性がある。そしてタイトルがとても良いと思う。このイメージは言葉以上のものを伝えてくる。これも角田さんがつけたのでしょうが、うまいネーミングだと思う。

それにしても、結婚とは牢獄で、子供を持つとはそこに錠をかけることだと言ったのは大江健三郎だったでしょうか?100%の同意はしないまでも、見方によってはそれもまた事実だと認めてしまえる方が、気楽かもしれませんね。


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CIMG0382 copyお気に入りのメープルシロップ。

これがないとパンケーキが始まらないのだ。

ホントはここにバナナをのせるんだけど、今日は品切れでございます。





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